paris55’s diary

人生折り返し女子 プチ介護と日々の楽しみ

年末年始から今日まで 毎日同じ事のくり返しみたいだと思っていたけど

 

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ヴァレンタイン、手作りカップケーキもらってしまった♡

 はりきってブログを始めたものの、12月からは仕事がさらに忙しくなった。

小さな塾でも受験生がいるので、年末からはギアが1段上がる。

それでも、年末年始は3日くらい実家に泊まるのが恒例で、今回もお泊り。

認知症の母には、なかなか「大晦日」ということを認識してもらえなかった。

いつも私がバタバタ忙しくしているのは、母の中に刻み込まれているようで、

母「今日は仕事はないの?」

私「今日は大晦日だよ。明日はお正月!」

のやり取りが、何度も何度も繰り返された。5回目くらいには、ちょっとキレそうになる。いや、たぶん確実にキレてた。ごめんね、お母さん。

 

 85歳の母は、要介護2。そんな母の「自宅で暮らしたい」の願いを叶えたくて、実家近くに住む兄嫁Yちゃんと、力を合わせて奮闘中。お互い自営業だから、融通のつく面もある。自営業だから、つかない面もあるんだけど。

 Yちゃんは、毎日の母の生活を支えてくれる。病院の付き添い、毎日の食事の用意、薬の服用、ごみの始末とか。

 私は週2回、主に「実の娘」だからできることをしている。掃除、タンスに下着を整理してしまったり、一緒にお風呂に入ったり。

 母は、できないことがだんだん増えてきたけれど、洗濯して干すことはできる。電気ケトルはだめだったけど、母自慢の鉄瓶でお湯を沸かせる。急須のお茶パックは、濡れているから、乾かしてから捨てようと、SDGsにも貢献?している。家のあちこちに、薄茶のくしゃくしゃのパックが干してあって、ちょっとした宝探し。

 

「今年も家で過ごせるように、とにかく元気でがんばろうね!お母さん。」

お正月、お餅を食べて、ポーカーをして、初詣に行って、笑って過ごした。

 

 そしてお正月明け。

 自宅で転んで右足首、骨折。

 私が。

 

 転んだその日、そのうち治るだろうと、そのまま仕事。

 痛みが引かないので、明日は病院だな、と思っていた。が、夜中、痛くて目が覚める。あまりの痛さに眠れない。もう階段も降りれない。(涙)

 病院での診断は、全治1か月。入院はなし。ホッ。

 でも、車の運転ができず。仕事は、夫と義母が送迎してくれた。塾生に迷惑をかけずに済んだ。これにもホッ。

 だけど…年明け早々。なぜ?どうして?Why?

 

 ネットでお札立てを二つ買った。一つは、塾の壁に立てかけた。夫に頼もうかと思ったが、自分で脚立に乗った。もう一つは、自宅に。夫に、高いところに備え付けてもらった。そして「これくらいで済んで良かった」と思うことにした。

 

 骨折から3週間、自分で運転できるようになった。

それから今、ようやく、受験も、確定申告も終わった。

この間には、オミクロンが猛威を振るい、ウクライナへの侵攻があった。

亡くなった人の数を聞くたびに、その死を悲しむ人は、3倍?4倍?もっとたくさんおれるはず。悲しいニュースを聞くたびにつらいけれど、それは私が生きているから。

 

 今日、母はデイサービス。明日は、母に会いに行く。私が行けない間、Yちゃんはほぼ一人でがんばってくれたから、おやつでも買っていこう。

 塾は、毎年卒業するから、新年度の生徒募集も頑張らなくちゃ。

生きていくって、ほんッとに大変だけど、一人じゃないってとってもありがたいこと。