paris55’s diary

人生折り返し女子 プチ介護と日々の楽しみ

介護でハートブレイク やさしくなりたい


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要介護2の母は、私には厳しい。

私が母に厳しいから?

明るくて、朗らかでお茶目な母。

働き者で、頑張り屋で負けず嫌いな母。

耳が遠くなり、いろんな事を忘れてしまうけど。

それでも、母は私の大事なお母さん。

きっと、母は、私に対しては「しっかり者の母」でいたいだろう。

 

この間、私が実家を帰る前に、些細なことで大げんかになった。

その日は午後から、母と藤の花を観にお出かけ。

少し遅くなって帰宅。

洗濯洗剤の詰め替え、母が植木の水遣りした後の水道の栓の確認などなど、細々した家事を片づけ。

マズイ!遅くなってる。

急いで帰って、晩ごはんの支度をしないと!

明日は法事だから、朝から忙しいし!

お母さんのクリーニングも出さないと。

 

もう帰らないといけない、と言っているのに。

母は、私に「一緒に晩ご飯を食べて帰れ」と言う。

ごめんね。今日は一緒に食べられないの。

 

余裕のない私と母で大げんかに発展。

 

もう帰る!とクリーニングに出す母のセーターやコートを掴んで車に向かった時。

近所のおじさん?(70代位)が、待ち構えていたように、

自分の家の二階から私に声をかけてきた。

 

「ダメだわ。ダメダメ。あー、ホントにダメ。

お母さんの病気には、ストレスが一番良くないのに。

あんな言い方して。かわいそうだ。

ホントに、ダメだよ。」

 

耳の遠い母と話す時は、腹式呼吸。

私は家の中をバタバタしながら、しゃべっていたからますます大声になっていた模様…。

ハァ……。

 

「そうですね。私ができていない人間なんで。」

「でも、私もいっぱいいっぱいでしんどいんです。」

 

おじさん曰く

「もうあんたは来ない方かいい。

お嫁さんに全部任せなさい。

お母さんのために、もう来るな。」

 

「えっ??」

私は、自分が底の浅い人間だって、よーく知っている。

でも、他人にそこまで言われなくちゃいけないの?

 

「すみません。」

と言うのが精一杯で、逃げるように帰った。

 

運転しながら、噛みしめていた。

私が悪い。わかってる。そんなこと。

キツイからね、私は。

母が認知症と診断されてから10年以上、ずっと苦しんできた。

優しくできない自分に。

自宅と実家の家事、仕事、子供の受験や就職のこと。

いつも忙しくて、心配して、余裕がなくて。

 

自宅に帰って、急いで晩ごはんの支度。

手伝ってくれる夫に、聞いてもらった。

口に出してみると、声が震えた。

悔しくて涙をこらえた。

「もう来るな」発言には、夫もびっくり。

「気にしなくていいと思う。

でも、お義姉さんには言っておいた方がいいんじゃない?」

 

うん…。

もうちょっと自分の中で寝かせてからね。

 

認知症患者である母。

母である認知症患者。

私は明らかに、前者として母を受け止めたいと思っている。

普通の親子のように、母と過ごしたいだけ。

例え、母が私を忘れても。

 

そして、私の中には「いつも優しくいたい」自分がいる。

それができない自分が、つらい。

赤の他人にそこを指摘されて、思いっ切りダメ出しされて、傷ついただけ。

 

それでも母は私を待っているから、行くんだけどね。

「起こった事は、全て良し」

もうすぐ消化できるかな…?

 

   ❤️😊最後まで読んでくださって、ありがとうございます。😊❤️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就活に悩む子ども達へ 月並みだけど、就職講演をしていた私が思うこと


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私は、東京の私立大学卒業後、就職情報誌を作る会社に新卒で入社した。

私の仕事の一つは、大学・短大等の就職状況のリサーチ。

そして、就活するにあたっての心構えなど学生向けの講演もした。

ちなみに、今、大学生の我が子は就活真っ最中。

 

こんな私が力説したい

「就活で、一番大事な基本中の基本!」

それは、自己分析。

ココに時間と労力をつぎ込むことが大切。

どの就活ガイドにも、一番最初に書かれているはず。

書類審査や面接でうまくいかない時は、絶対に自己分析を見直したほうが良い。

 

就活は「お見合いみたいなもの」と私は思っている。

お互いのニーズが一致して、初めて成立するから。

 

「自分がどんな人間なのか」見つめ直して、言葉にする。

でも、「自分」って自分ではよくわからない。

 

今は、ネットの就活サイトで簡単に自己分析できるけれど。

それだけでは弱い。

あなたという人が伝わらない。

ぜひ家族や子供の頃からの友人に率直に聞いてほしい。

私ってどんな人?って。

私の思う「自分」と、周りの人の思う「自分」は必ずしも一致しない。

自分の中では過小評価していた個性が、実は大きな魅力だったりする。

どんな出来事があって、どんな人だと思われたのか。こんなエピソードは、AIでは見つけられない。

自分の体験から見つけ出した自画像は、きっとエントリーシートにあなたの体温を吹き込むはず。

 

職歴のない学生は

「一緒に働きたい」と思ってもらえるかどうか、が勝負.

コロナ禍で行動が制限され、自分のしたいこと・活動をした学生は少ないはず。

だから、エントリーシートに、無理やり華々しいことを書かなくても大丈夫。

※でも、ちょっとくらい「盛る」のは、まったく問題なし!

これまで、何を考えて、どんな生活を送ってきたのか。

これまでに味わった挫折でも、そこから何を考えて、何を得たのか、言葉にできれば必ず魅力になる。

 

「自分と向かい合う」ってなかなか大変。

それを言葉にするのは、もっと大変かもしれない。

だけど、ここが決まらないまま、就活したって上手くいかない。

自己分析を大事に、就活をしてほしい。

その上で、

関心のある・持てる業界・企業研究をがんばってほしい。

 

すぐに役立つ「魔法のテクニック」はないと思う。

月並みなことしか書けないけれど。

でも。

心から応援しています。

あなたは、社会に絶対に必要な人だから。

 

 

   ❤️😊😊最後まで読んでくださって、ありがとうございます。😊😊❤️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連休介護


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85歳、要介護2の母は、実家で一人暮らし。

身の回りのことを一人で全部するのは、もう難しくなっている。

兄嫁のYちゃんと娘の私が、「黒子」として日々のサポート。

Yちゃんは、日々の食事・薬の服用、週4回のデイサービスの見送り・お出迎え、病院の付き添い、ケアマネさんとのやりとり。

私は週末を中心に、掃除や細々した家事系やお出かけ・散歩などのリハビリ系を担当。

本当にYちゃんのおかげで、母は自宅にいられる。

 

少しでもYちゃんの負担を減らしたくて、私は月に2回、お泊りする。

 

母が、一人で過ごす時

 一人の食事は味気ないせいか、せっかく用意しても手を付けていないことも多い。

Yちゃんに、申し訳なさいっぱい…。

また、ごはんやおかずを電子レンジでチンして、そのまま忘れてしまう。レンジに長時間かけすぎて、食べられないくらいカッチカチになっていることも。

 対策として、大きい付箋に「チンは1分だけ」と大きく書いて、レンジに3か所貼っておいた。

そしてその後、電子レンジの中で、たまごパンが黒焦げになっていたらしい、、、。

ウーン、、、。

 結局、あたためオート機能のついたレンジに買い替えた。

 

普段、私が泊まる時

 母に残った能力を維持するために、一緒に買い物に行って、一緒に調理して食べる。

そう、お泊りのときは、私はずーっと母と一緒。

そして、これがなかなか大変。

私は底の浅い人なので、余裕がないと優しくできないから。

 

 この半年くらいで、母の、さっきの事を覚えていられる時間が短くなっている。

一緒に買い物に出かけると、何度も財布の中身を確認する。

家を出てから支払いが終わるまで、多分10回は確認する。

「私が(お金を)持っているから、大丈夫だよ。」

「さっき確認して、あったよ。」

と私も声をかけるが、そのうちに「確認して安心するなら」と黙って見ている。

自分のことは、自分でしたい母。

支払いも、母に自分で払ってもらう。

 認知症になると、とりあえずお札で払いがち、になるらしいが、母はきっちり小銭も交えて払っている。

 

 調理中の母の包丁さばきは見事!

私よりも速く、大きさを揃えてきれいに切れる。

「すごいねー!さすが!」👏👏👏

母にしてほしいことを二つ以上、一度に頼んではいけない。

一つずつ伝えると、サッサとこなして「次は何?」と聞いてくる。

私が自分のことができてなくて、慌てるくらいだ。

 

 食事中は、母は

「(私の)お義母さんは、何年生まれ?」

「(私が)仕事を終わって帰るのは、何時ごろ?」

を際限なく聞いてくる。本当に食欲が落ちるくらい聞いてくる(笑)

私は私で、話題を変えるようにがんばる。

 

そして今回、GWのお泊まり。

 Yちゃんは、県外の実家へ帰省。

 朝、私が実家に着くなり、母が神妙な顔で言った。

「じいさん・ばあさんが、施設に入れられているのよ。会いに連れて行ってくれないかしら?」

「じいさん・ばあさん…?お母さんの、お父さんとお母さんのこと??」

もう亡くなっていることを説明して、その時は納得してくれたものの、この後も何回かお願いされた。

「お母さんは、まだ天国には行けないんだよ。」

 

 この思い込みは、まだ続いている。

 

 昼食後、二人で近郊のフラワーパークへ。

休み、休みながら、けっこう歩いた。

ニコニコしている母を見るのは、嬉しい。

「髪が伸びて白髪が目立つなあ。美容院、予約しないといけないな。」

母は、ちゃんとしていたい。

誰にも迷惑をかけずに、自立して生活していたい。

だから、キレイでいたい気持ちも強い。

 

 母と歩く時は、手をつなぐ。

初めは冷たい母の手も、歩いているうちに温かくなる。

無理はさせられないけれど、血流が上がっていると思うと嬉しい。

ご機嫌のときは、つないだ手を前後に振りながら、歌を口ずさむ母。

「おててつないでぇ、野道を行けばあ♪」

そして、決まって言う。何度もしみじみと。

「お前がこっちに帰ってきてくれて、本当によかった。」

「けんかのとき、あんなにきゃんきゃん怒っても?」

「うん。だって親子だもん。わかってるよ。」

 

 耳の遠い母は、テレビの音量55。

大きめの声でゆっくり話さないと、聞こえにくい。

腹筋が鍛えられて、ダイエット効果あり。

現状では、補聴器も管理も含めて使えないと思う。

けんかして興奮すると、私も声が大きくなり、きゃんきゃんうるさい。

「私がきゃんきゃんうるさいのは、絶対お父さんに似たんだと思うのよね。」

「えー。お父さんにゆってやろ。」

父は天国で笑ってる?かな?

 

   ❤️😊😊最後まで読んでくださって、ありがとうございます。😊😊❤️

 

認知症11年目。何とか一人で暮らせている母は、今年も冬を越せました!



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この数ヶ月「寒い、寒い」と、ベッドに潜り込む日々。何だか、母はまた少し小さくなった?ように感じる。私も1年で一番忙しい時期。なかなか思うように、連れ出したりできない。毎年、病気が進行するのではないか、気が気でない時期。

 

Yちゃんが食事を用意してくれても、手をつけていないこともしばしば。

一人の食事だと楽しくないからか、ホントに食は進まない。パンとかカステラとか、そんなものばかり食べている模様。体力、大丈夫かな…。

 

県外にいる娘が、年末に続いて、春休みに帰省してきた。しばらく家で様子を見て、コロナは大丈夫そうなので、一緒に母のところに泊まりに行こうか、考えていた。

 

娘は、コロナ禍の最中、進学して一人暮らしを始めた。大学はオンラインを中心にした授業。友達を作る機会もほとんどなかった。見知らぬ土地での初めての一人暮らし。部屋からあまり出ず、頼みにしていたバイトもなかなか見つからず。感染を心配して、ずっと帰省しなかった。ライン電話を使っても、やっぱり会って顔が見たい。

 

ようやく昨年末に帰省。

マスク生活に加えて、ストレスで肌がボロボロになって帰ってきた。お肌すべすべだったのに…。

娘が感染していないことを確認してから、一緒に実家にお泊りに行ったその時。

認知症の母には、悪気は全くない。もちろん、心配して言うんだけど。

「どうしたの?その顔。なんでそんなにぶつぶつ出てるの?病院、行ったの?」

を、容赦なく、ずっとくり返す。年頃の娘にとっては、なかなかつらい言葉。初めは笑っていた娘も黙り込んでしまった。一緒に食事している間、母は何度もくり返し言うので、私の方がいたたまれず、

「いい加減にして!」

と激怒。和やかな夕食にしたかったけど。

 

今回の春休みは「もう行きたくない」と言うかな?

「おばあちゃんが忘れないように」と、たまに母に電話をしてくれる優しい子。

「お母さんが行くなら、一緒に行くよ。」

ありがとう。私だって、あなたと一緒にいたいから。

 

今回、母は、あまり娘の肌荒れは触れず。良かった。孫に対して、祖母らしくありたいようで、世話を焼こうとしたり、何度もお小遣いを渡そうとしたり。

 

母は、娘である私には、母親であろうとしている。私が何か言えば、母なりの理屈をこねる。(コレが腹立つ時もある。)優しい嫁のYちゃんに対しては、心細さを訴えたりして甘えている。

 

色々なことが、少しずつできなくなっているけれど、社会性というのか、母は相手に対して、まだ自分の役割を果たしている。認知症でも、母は、しっかり自分の足で立って生きている。母がまだ「自分」でいられることが、やっぱり嬉しい。

 

もう、桜は終わりつつある。少しずつお出かけして、足腰を鍛えないとね。

 

 

 

 

年末年始から今日まで 毎日同じ事のくり返しみたいだと思っていたけど

 

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ヴァレンタイン、手作りカップケーキもらってしまった♡

 はりきってブログを始めたものの、12月からは仕事がさらに忙しくなった。

小さな塾でも受験生がいるので、年末からはギアが1段上がる。

それでも、年末年始は3日くらい実家に泊まるのが恒例で、今回もお泊り。

認知症の母には、なかなか「大晦日」ということを認識してもらえなかった。

いつも私がバタバタ忙しくしているのは、母の中に刻み込まれているようで、

母「今日は仕事はないの?」

私「今日は大晦日だよ。明日はお正月!」

のやり取りが、何度も何度も繰り返された。5回目くらいには、ちょっとキレそうになる。いや、たぶん確実にキレてた。ごめんね、お母さん。

 

 85歳の母は、要介護2。そんな母の「自宅で暮らしたい」の願いを叶えたくて、実家近くに住む兄嫁Yちゃんと、力を合わせて奮闘中。お互い自営業だから、融通のつく面もある。自営業だから、つかない面もあるんだけど。

 Yちゃんは、毎日の母の生活を支えてくれる。病院の付き添い、毎日の食事の用意、薬の服用、ごみの始末とか。

 私は週2回、主に「実の娘」だからできることをしている。掃除、タンスに下着を整理してしまったり、一緒にお風呂に入ったり。

 母は、できないことがだんだん増えてきたけれど、洗濯して干すことはできる。電気ケトルはだめだったけど、母自慢の鉄瓶でお湯を沸かせる。急須のお茶パックは、濡れているから、乾かしてから捨てようと、SDGsにも貢献?している。家のあちこちに、薄茶のくしゃくしゃのパックが干してあって、ちょっとした宝探し。

 

「今年も家で過ごせるように、とにかく元気でがんばろうね!お母さん。」

お正月、お餅を食べて、ポーカーをして、初詣に行って、笑って過ごした。

 

 そしてお正月明け。

 自宅で転んで右足首、骨折。

 私が。

 

 転んだその日、そのうち治るだろうと、そのまま仕事。

 痛みが引かないので、明日は病院だな、と思っていた。が、夜中、痛くて目が覚める。あまりの痛さに眠れない。もう階段も降りれない。(涙)

 病院での診断は、全治1か月。入院はなし。ホッ。

 でも、車の運転ができず。仕事は、夫と義母が送迎してくれた。塾生に迷惑をかけずに済んだ。これにもホッ。

 だけど…年明け早々。なぜ?どうして?Why?

 

 ネットでお札立てを二つ買った。一つは、塾の壁に立てかけた。夫に頼もうかと思ったが、自分で脚立に乗った。もう一つは、自宅に。夫に、高いところに備え付けてもらった。そして「これくらいで済んで良かった」と思うことにした。

 

 骨折から3週間、自分で運転できるようになった。

それから今、ようやく、受験も、確定申告も終わった。

この間には、オミクロンが猛威を振るい、ウクライナへの侵攻があった。

亡くなった人の数を聞くたびに、その死を悲しむ人は、3倍?4倍?もっとたくさんおれるはず。悲しいニュースを聞くたびにつらいけれど、それは私が生きているから。

 

 今日、母はデイサービス。明日は、母に会いに行く。私が行けない間、Yちゃんはほぼ一人でがんばってくれたから、おやつでも買っていこう。

 塾は、毎年卒業するから、新年度の生徒募集も頑張らなくちゃ。

生きていくって、ほんッとに大変だけど、一人じゃないってとってもありがたいこと。