paris55’s diary

人生折り返し女子 プチ介護と日々の楽しみ

介護者がたおれた時 私が骨折、yちゃんが過労で入院

旬のとうもろこし。母にむいてもらい、ゆでた。ゆであがるころには、自分でむいたこともすっかり忘れていた。(笑)

例え、小さな田舎の学習塾でも、コロナ第7波中でも

夏休みはそれなりに忙しい。

コロナ休校で学習機会が失われたことは、これからじわじわ

「学力低下」という形で表れてくる、と警戒している。

けっこう真面目に仕事をしていると、やっぱり仕事は増えてしまう。

そんなばたばたの中、少しずつ書いていた記事を昨日ようやくアップ。

めでたし、めでたし、と書いたけれど。

今、もっと切実な事態になっている。

 

今から1週間前。

実家に泊まった翌日、そのまま仕事に向かおうと荷物を抱え、

せまい玄関を出ようと、振り返りながら1歩後ろに踏み出したら,,,

地面がなかった。

そう、簡単に言えば、階段を踏み外した。

慣れ親しんだ実家の玄関で、仰向けに50センチくらい転落。

ゴミ袋や大きなカバンを抱えたまま。

 

激痛でしばらく動けなかったが、子供の待つ駐車場までどうにか行った。

遅い夏休みで帰省していたこの子のおかげで、病院まで車で運んでもらえた。

文字通り、不幸中の幸い。

 

実家は飲食店を営んでいるので、義姉yちゃんは家業の傍ら、

日々、母の食事、投薬、病院の付き添いなどしてくれている。

「せめて助けになれば」と、私も週2回は母の元へ行く。

一緒に食事を作って食べる、掃除、洗濯物の片づけ、散歩が私の仕事。

母は、週に4日デイサービスも利用し、順調な介護だと思っていた。

 

「ごめん、yちゃん。やってしまった,,,(涙、涙)」

私たちに何かあったらお母さんが困るから、

無理しすぎないようにがんばろう。

と、日ごろから声を掛け合っていた私たち。

「大丈夫。できるようにするから。pちゃんは大事にしといて。」

 

そして翌朝。

yちゃんが、救急搬送されたと連絡が入った。

元々疲れるとめまいがあったyちゃん。私もそうなので、つらさはよくわかる。

夜中、睡眠中に激しいめまいと嘔吐。

「脳に何かあるのでは?」と甥たちが救急車を呼んだ。

 

連絡を受けて、しばし呆然。

なぜ?どうして?私たち、何か悪いことをした?

母をどうしよう。

私は、松葉づえがないと歩けない。階段なんて、絶対無理。

 

結局、兄とyちゃんの子供たちが、代行してくれることになった。

正確には、代行せざるを得なかったのだけれど。

みんな仕事や家庭があるのに、積極的に一生懸命関わってくれている。

電話やラインでやりとりし、連絡や注意事項も共有。

SNSって本当に便利。うまく使えば、すばらしいツール。

母は、いつも以上に孫たちが来てくれてとても嬉しそうだ。

yちゃん入院や私の骨折はすぐに忘れてしまうので、電話のたびに私が行けない理由を説明している。

 

検査の結果、yちゃんは、脳に異常なし。本当に良かった!

体調が落ち着くまで入院。

 

私は、週末に、義肢製作所で作ってもらった「足底板」なるものが出来上がり、

松葉づえは離せないけれど、ようやく左足を地面に付けられるようになった。

私は古い日本家屋に住んでいるので、トイレに行って戻るのに9分もかかっている。

夫は自分の仕事に加え、私の仕事への送迎や掃除、洗濯など頑張ってくれている。

80代の姑も食事など諸々、手を貸してくれる。

 

みんな、本当にありがとう。いくら感謝しても足りない。

 

ようやくスマホ画面が見られるようになったyちゃんとやりとり。

私たちキャパオーバー、しちゃったね。

まだできる、もう少しやれる、を繰り返し続け、限界を超えてしまった。

「自分の体力と相談しながら」じゃないと、続かないよね。

私たちだって立派なおばさん?いや、おばあさん?の入り口にいる。

老老介護の入り口に来てる。

 

「自宅で死にたい」という母の希望を叶えたくて、がんばってきた。

もちろんこれからもそうするつもりだけど、

客観的に現状をみつめる目が必要だと、改めて痛感。

 

   ❤️😊最後まで読んでくださって、ありがとうございます。😊❤️